第8回 残念な大人の戯言

 本日は5月5日、こどもの日ですね。時の流れとは案外早いもので、私は社会に出てからもう6年が過ぎ、今年で社会人7年生になろうとしています。

 今更ながら簡単に自分の経歴をご紹介いたしますと、

 2014年に某4年制大学を卒業→陸上自衛隊に入隊、4年間勤務→今の会社

 といった流れになります。

 昔はただ漠然と「大人」について考えていました。年を重ねていけば自動的に「大人」になって、子供の自分ではできないようなスゴいことがいろいろと、何でもできるようになるんだと、勝手にそう思ってました。でも実際、今となっては全然そんなことはなくてむしろ逆で、様々な制約があってマイナスのイメージしかありません。(笑)もしタイムマシンで過去に戻れるなら、昔の自分に言い聞かせてやりたいです。

 『大人になったってロクなことにならないぞ』ってね……。

 と、いうことで今回は「大人」の定義について自分なりの視点で考察していきます。

 そもそも、世間一般で言う「大人」って一体誰がどうやって決めることなのでしょうね?

 例えば二次成長期が過ぎれば身体的には「大人」と言えるでしょうし、他にも参政権を獲得できる年齢になったら、という考え方もあるでしょう。今の日本では満18歳からですが、この時点ではほとんどの人がまだ学生のはずで、自分の進路に関して考えるのに精いっぱいで政治に高い関心を持っているとは考えにくいと思います。

 では、大人の飲み物であるお酒が飲める年齢の20歳ではどうでしょうか? これについても疑問があります。まず20歳という年齢だと、大体が大学2年生だったり短大や専門学校を卒業したばかりの年齢でもありますので、かなり学生の割合が高く、まだ社会経験も乏しいと推測されます。そしてこの年代だと抑圧された反動もあって、自制してお酒を飲む人はあんまりいないと思います。サークルの飲み会なんかでハメを外しすぎて、お店や他のお客さんに迷惑をかけるパターンも少なからずあるでしょう。お酒を飲むことそれ自体は法律的に問題はないのですが、その結果周囲に迷惑をかけるとなると社会のマナー的には好ましくありませんね。

 また、年齢がいくつになっても「幼稚」と評される人があなたの周りにもいませんか? 物事が自分の思い通りに行かないとイライラしたり、無責任な言動で周囲を振り回すような、学校や職場の先輩とか上司とか。

 そうなると、年齢は「大人」を定義するにはあまり当てにならないような気がします。では、年齢による「大人」とは何のためにあるのでしょう?

 

 それは私が思うに、行政上の都合によるところが大きいと思います。もし各個人によって「大人」になるタイミングが異なってしまうと、税の徴収や戸籍情報の変更などといった様々な手続きに支障が出たりして、行政の運営が健全に進まないからだと思うのです。ゆえに、法律によって一定の基準で定義づけしていく必要が生まれたのでしょう。

 あと他には、精神面での「大人」というのもありますね。先ほど述べた「幼稚」な人の反対で、

・落ち着きがある

・精神的に余裕がある

・責任感がある

・丁寧な応対ができる

 などなど……。多分、この精神面での特徴が世間一般の「大人」の条件に一番近いのだろうと思います。

 まあ、アンケートで調査でもすればもっと精度の高い記事にはなるでしょうけど、生憎アンケートに協力してくれそうな人々がいないもんでねぇ……。

 

 さて、ここまで考えてきた「大人」の定義ですが、実はどれも共通点があります。

 それは全て「他人からの客観的な評価」という点です。要するに「大人」かどうかは自分ではなく他人が決める事柄だったのです。

 ……あれ? じゃあ私のように、そもそも評価してくれるような他人すらいないぼっちはどうしたらいいのでしょう? 

 そこで私は考えました。他人に依存せず、自分だけでも判断できるような、自分主体の定義はないものか? 

 

 それを考えていく上で、私は実際に社会に出てみて感じたことを4つほど挙げてみました。これらは自分が「大人」なったからというよりは、年齢を重ねて進学や就職で、人生のステージが上がってしまったことによるものだと思いますが。

①責任の増大

 「子供だから」と許されていたことが許されなくなり、「大人だから」という理由でやらなければいけないことが増える。

②自分を縛るルールの増加

 法律面だけでなく、自分の所属する組織(会社など)の規則で行動を制限される。

③体力の衰えと健康の不安

 言わずもがな、人は誰しも日々着実に老いていく……。

④お金のかかるイベントが増えるが、収入は全然上がらない

 結婚祝い、出産祝い、親の介護、その他多数……。

 

 ネガティブなことばっかりだ!(笑)

 こうして振り返ってみると、大人よりも子供の方が自由に何でもできたのではないかと気づかされます。現実は、子供のころに考えていたこととは全く逆だったようです。

 子供って、大人が思っている以上にすごい存在なんですね……。小さいお子さんがいらっしゃる方ならなおさら、そう感じることがあるかと思います。

 

 と、いうわけで私の考える「大人」の定義(自分主体)とは、『子供に戻りたい、と思ったら』であります。一見言葉遊びのようですが、本当にまだ子供だとしたら子供であることを否定したり「大人」に対して憧れを抱いているはずですからね。そして子供には、大人にはないような計り知れないエネルギーがあるのだと思います。

 もし、私と同じように「子供に戻りたい」と思ったら、あなたは晴れて大人だと主張してもいいでしょう。ただし、「残念な大人」ですけどね……。